エッセイ VOL.12 『それからの少年H』



     
ぼくの名前はトミオ。
でもいまは「リュウ」っていうんだ。

8才のとき病気になって、みんなと別れて
あちらの世界へいって
お父さんと暮らしていたんだけれど、
またこちらへ戻ってきちゃった。

お母さんとぼくたち4人の子供を残して
お父さんが病死してから、戦争があって・・・
ぼくも疎開先で病気になって、
お父さんの後を追ったんだよね。
みんな悲しんでくれた。

でもぼくとお父さん、いつも空の上から家族のこと
見守っていたんだよ。
家族みんなが病気をしないで元気に暮らせたのも、
お父さんとぼくが一生懸命応援したからさ。

いやな戦争が終わってから、お母さんたちとっても苦労したんだね。
でも、空襲がなくなって集団疎開も終わり、お友達や先生もまた、
大阪の学校へ戻って、みんな一緒に勉強したり遊べるようになって、
ぼくうれしかったよ。

相変わらず食べるものは少ししかなくて、おやつも甘いものも
なかったけれど、壊れた家の修理を手伝ったり、
お使いやおふろわかしを手伝ったり、
幼い妹弟の面倒をみたり、
遠い田舎へ食べ物の買い出しに行ったりするのを
手伝う子もいたね。
ぼくいつも上から見ていて思ったんだよ。
みんな大変だなあって。

でも、ぼくもみんなと一緒にもっともっと勉強したかった…。
本を読んだり文章を書いたり,
工作をするのが何より好きだったんだ。
上の学校へもどんなに行きたかったか…。


だからぼくね・・・
こちらの世界へまた来ちゃったんだ!

「転生」したんだ。人間は何度も生まれ変わるんだよ。
この世にやり残したことがあって、
「もう一度やり直したい!」っていう
思いが強ければ強いほど、転生するまでの時間が短いんだ。

ぼくは同じ家族のなかへ、25年後に
お母さんの「孫」として出て来ちゃった…。
ぼく(トミオ)には、姉一人と弟が二人いたんだけれど、
下の弟の子供として、新しく生まれたんだ。
だからトミオ時代のお母さんは、
今はぼく(リュウ)のおばあちゃんってわけ。

たいていの人は、生まれた時はもう前世のことは記憶から
外されるんだけど、たまに「前世を記憶する子供」ってのも
この地球には存在してね…。本や映画になったことがあるから
知ってる人もいると思うんだ。
信じない人が多いけどね。

ぼくが新しくリュウとして生まれたとき、
若い両親はもちろんのこと、
おばあちゃんとおばさん(つまりトミオの母親と姉)の
喜びようは、とてもひとことでは言えないくらいだった。
もちろん二人とも、リュウの前世がトミオだってこと知らないよ。

近くに住んでいたから毎日会いにきて、
おばあちゃんなんかママがおっぱい出ないもんだから
自分のおっぱい吸わしたり、
(55才にもなって、とっくにおっぱいなんか出ないのにね)
おんぶしたり、オモチャを山ほど買ってきたり、

おばさんも、自分の子供も小学生がふたりいて、すごく可愛がって
いたのに、ぼくを抱っこしたりミルクを飲ましたり、
おしめを変えたり…無茶可愛がりして、
ぼくおかしくて笑いそうになったよ。

ママはおばあちゃんとおばさんの異常なくらいの可愛がりよう
から、冗談のつもりで
「亡くなったトミオちゃんの生れかわりみたいね」
と言っていたけど、ぼくがベッドの中からウインクしたのに
気づいてないみたいだった。

とにかく、ぼくはよく食べ、よく笑い、よくいたずらもして、
みんなの人気者だった。
2才の時、妹も出来てよいお兄ちゃんぶりを発揮したんだって。

何にでも興味を示して、お父さんがお仕事で、海外へ出張する事が
多かったからか、小さい時から世界地図を広げて、外国のことに
すごく興味を示し、「大きくなったらボクも外国へ行くんだ」と
言っていたらしい。

5才から小学5年生まで、お父さんの商社のお仕事の関係で
家族みんなでインドネシアに住んだんだ。

幼稚園と小学校は、日本大使館付属の学校で、
日本と変わらない教育を受けたんだけど、

熱帯ののんびりした気風の中で、インドネシアの子供と遊んだり、
近所には欧米人、中国人、インド人など世界からいろんな人が
集まって住んでいたので
(この国は豊かな自然と、沢山の働く人がいるので、
日本だけでなく世界中からの企業が出向いてきているんだって)

外国の子供達の風習なども教えて貰って、とっても楽しい思いを
したんだ。塾もなくて、毎日学校から帰ると、裸足で走りまわって
遅くまで外で遊んだよ。

家の中には、女中さんやボーイさん、運転手さんや、
門番など使用人のいっぱいいる生活だった。

ともかく、トミオ時代とちがって、リュウとして生まれてからは
好きな勉強や読書や、スポーツやゲームや、したいことを何でも
させて貰い、外国旅行もして世界のおいしい食べ物を食べたり、
珍しい人たちを見たりして、両親や親族の愛情を身いっぱいに
受けてとっても幸せな子供時代を送ったんだ。

そんな時でも、いつもトミオ時代の、お母さんとお姉さんや
弟達への愛情は変わらなかった。
弟が今のパパというのも、なんだか変な感じだったけどさ…。

僕が「ウチへおいでよ」と心の中でいつも言っていたから、
おばあちゃんは末っ子の僕のパパの家で
一緒に住むことになったんだよ。

パパが新しい家を建てた時は、それはそれは嬉しそうにしていた。
僕はよくおばあちゃんの横へお布団を移して、一緒に寝たものさ。
インドネシアから帰国して、小学5年生になっていたのにね。
おばあちゃんも、僕のことを半分トミオと思っていたかもしれない。


僕は中学高校と、勉強が苦にならなかったから、
一浪して東大へ入った時、
「今から本格的に勉強して、母親孝行しなくっちゃ!」と
決意したんだ。

母親って・・・おばあちゃん・・・のこと
・・・だよね・・・?・・・僕の母さんのこと?

おとなに近づくにつれて、「前」の時代のことは、脳裏から
消えていったようだ・・・。


大学受験の時から今まで、おやじの姉さんにはとても世話になった。
もちろんおばさんが、小さい時から僕のことをすごく可愛がって
くれたことは覚えている。

おばさん一家は、その頃から東京に住んでいたから、
僕は上京して学生生活を始めた時、はじめのうちはいつも
おばさんの家のそばに、下宿やアパートを探して、
夜などしょっちゅう食事をよばれに行った。
病気になった時など、おばさんは夜も寝ないで看病
してくれたんだ。
東京の生活に馴れるにしたがって、独り立ちしたけどね。

おばさんは今では、短歌の作家となって、
ふたりの子供も結婚して孫もできて、幸せな初老婦人になって
いるんだけど、おととしダンナさんを失くして、

これから恩返しをしなくちゃ、と思っているうちに、
僕は新しい仕事を見つけて、8年間居た大学をやめて、
アメリカヘ来てしまった。

大学院では、言語学とコンピューターとの関連について
研究していたんだが、二年前に先輩に誘われて
シリコンバレーで新しく始めるベンチャービジネスに
参加したんだ。

とにかく、こちらはいま、物凄く活気があってさ。

世界のIT産業の最先端のこの地にいて、
自分の好きなクリエィティブな仕事に就けるってことは、
とってもハッピイなことだと思っている。
僕はいま、張り切って仕事をしているよ。

最近、おやじの稼業がダメになって、僕も何とか手助けをと
気を揉んだんだが、
今は新しい仕事も見つかって頑張っているようだし、
おふくろはぜんぜんメゲない人だから安心しているんだ。

それよりも、年老いてきた祖母とおばさんのことが、
なぜか最近すごく気になりだした。
おばさんには、立派な親孝行の息子や娘もいるんだけどね。

僕がいつも傍にいて、見守っていてやらなければ、ってなぜか
つよく思うんだ。

こちらへ来る前におふくろから、昔のトミオ叔父さんの書いた
手紙とおばさんの書いた文集を見せて貰ったときは、
むしょうに胸がうずいたけど
(不覚にも泣いてしまった)

親子とか姉弟のきずなってものが、ウチの家系は特別に
強いんだろうな・・・って思ったね。
僕も、月に2回は両親あてにメールで近況報告をするように
しているよ。

トミオ叔父さんの鉛筆書きの手紙に比べると・・・
パソコンのメールはそっけないけどね。
速くて便利さ。

そうだ・・・おふくろ宛てにメールを・・・


「 母さん。
僕は元気で仕事をしています。
友達や仕事仲間と楽しくやっているから
安心して。

もうすぐ自分で会社を立ち上げるよ。
資金を提供してくれる
こちらの人たちも見つかったんだ
(ベンチャーキャピタルっていう言葉知ってるよね?)

大事な報告があるよ。
こちらで知り合った女性と今、一緒に仕事をしている
(モチロン日本の人さ)
とても気が合ってね。

今度、こちらから往復のエアチケット4人分送るから、
皆で遊びにおいでよ。彼女を紹介するから。

カリフォルニアは、暖かくって気候がいいからさ、
おばあちゃんもあばさんも、父さんも母さんも
みんなこちらへ来れば
きっととってもハッピーな気分になるよ!
                           リュウ」




本日のおかんの法則

      「生命(いのち)は循環する。」