おかんがおかんである所以は、いまさら言うまでもなく
「子供を産む」ことからきている。
このエッセイ2号でも、喧伝したごとく、
空中から指輪やら像を取り出す「物質化現象」を起こす
サイババさまがいかにエライといっても
「生きた赤ん坊」を空間から取り出されたというハナシは
いまだ聞いたことがない。
お釈迦様やイエス・キリスト様やマホメット様も
(協力したひとが、人間か聖霊かの違いはあっても)
その出現の花道が、母親の産道であったことは間違いが
ないであろう。
前置きが長かったが、要するに…
「おかんはエライ」んでありますな。
家で飼っていたメス犬のチロも、猫のヨーコも
エラかった。
おかんはみんな痛い目をして、この世に「素晴らしい固体」
を送り出してきたんである。
(うちの家族猫ミーコは、飼い主の勝手でおかんには
なれなかった。すまぬ。)
当おかんは3回、エライ目と痛い目にあってきた。
以降、どのようにしてその「固体」に水をやり、餌を与え、
愛とムチをそそいで大きくさせてきたかは、
この際問わないことにして、「痛み」の経験を自慢たらしく
語ってみようとおもう。
読者さんの中には、未婚で未出産のおかたも多いようなので、
何かの参考になるやも知れぬと勝手に思い込み、おかんは
恥をしのんで洗いざらいお喋りする覚悟であります。
ああ、忘れもしない…。
私がまだ20代前半のときのこと。
恋女房がはじめてエライ目にあうというのに、わが夫は会社の
海外出張で3ヶ月も留守でありました。
私の母親は私が結婚する2年まえに病死し、
(父親は高校3年の夏にこれも病死)
兄弟姉妹は6人もおりましたが、姉たちは当時みんな仕事を
持っており、頼みの姑さんも、ガッコのセンセで授業中…
いよいよ一大事業がはじまる私の初産というのに、
破水がしかかったその瞬間、
ああ、傍には誰もおらなんだのであります。
仕方がないので、大きな包みをかかえて
団地の隣の奥さんの部屋へかけこむと、
奥さんはタクシーを呼んでくれ、産院まで付いてきて
くれました。
産室にとびこんで、激痛と戦いながら自分で腰をさすって
おりますと、そこへスーッと亡くなった母親が
現われて…背中をきつく押してくれました。
私は霊媒体質なので、心の中で「お母さん!」と呼ぶと
いつでも直ぐに出現するのです。
「丈夫な赤ちゃんが生まれるよ」
と、にっこり笑うと、またスーツと姿が見えなくなり…
先生が来られて十分のちに、私の身体から生暖かい生き物が
離れてゆきました。いきんだ拍子にたくさんの汚物も、
身体後方下部から離れてゆきました。
(本当はカンチョウをして、先に出しておくべきだったのを、
看護婦さん忘れちゃったのね)
ともかく、3650gの大きな男の子でありました。
汚物と共に産まれた子も、産湯できれいに洗われて、
私の腕の中におさまったとき、あまりのいとおしさに涙がたくさん
たくさん流れ落ちました。
(カミサマ、先生、看護婦さん、お父さんお母さん、ご先祖さま、
あなた、お義母さん、隣の奥さん、みんなみんなありがとう!)
産婦というのは、例外なく「森羅万象へ感謝!」の気持ちが、
素直に口をついて出るらしいのです。
「まあ、オチンチン(いやおタマちゃん)の大きいこと!」
こんなに大きいのはなぜ?
(姉の赤ちゃんを見た時の事を思い出していた)
あとで見つかったのでありますが、わが息子は先天性脱腸で、
膀胱が下へさがっており、3ヶ月後に手術をしてそれから
普通の大きさに戻りました。
(あれから30年間、何事もなく(?)無事に育っております。)
夫からは、「でかした!名前は決めたぞ。」という国際電報が
入っただけ。(男はラクなものなんよ)
3ヶ月後に、初めて我が子とご対面になったとき…
「これがあなたの子よ」と、隣の家の赤ちゃんを差し出しても
分からなかったでありましょう。(男はカワイソウなものなんよ)
一週間、息子は泣きわめいて「見知らぬ」おじちゃんの腕に
抱かれようとしなかったのです。
でも日に日に顔が相似形になってきて、万事めでたし。
それから2年後に、懲りもせずまた痛い目にあいました。
今度は、夫がそばでずっと手を握り、腰をさすってくれました。
夫が傍にいようがいまいが、痛いのは同じ事。
このときは、夫に悪いので、亡母を呼びませんでした。
逆子(さかご)と言う事が分っていたので、
大阪でも「逆子では名医」と言われる産婦人科医のお世話になり、
…無事にひっくり返って正常着地…3000gの可愛らしい女の子
でありました。
汚物も赤ちゃん自身がまとっていた物だけで済み、ホッとしました。
一男一女、これで安心。
「あなた、もうこれからは要注意ね…」
と言っていたのに、ふたりは若かった。
また懲りもせず…5年後に、
こんどは、海外駐在先のインドネシアでの出産でした。
昭和40年代後半の当地は、大きな産院もジャカルタには
あまりなく、言葉の問題もあり、「外国人は帰国して出産」と
いうのが殆どでありましたが、生来チョー楽天的な性格の夫婦、
(3回目ということもあり)、家の近くの、当地では名医とうわさ
される「ドクトル(ドクター)ユドノ」という人に見て貰いました。
駐在生活も3年目に入り、私は言葉もそれほど不自由しなかった
ので、入院手続きも自分で済ませ…
受付けの人の、「外国人だからVIPルームにしましょう」と
いう言葉に従ったのですが、あとでわかったことだけど、
その産院は全室が個室で、並みの部屋とのちがいは、
テレビが一台「おまけ」に付いているだけでした。
「アパカ アガマ アンダー?」…あなたはどの神を信じているのか?、
どこへ行ってもまず聞かれるのはこれです。
(当時国民の6割以上が敬謙なイスラム教徒で、
あとはキリスト教やヒンドゥ教ほか、みんなみんな自分の神様を
もっているのです。)
「えーと、個人的にはイエス様が好きだけど、
婚家も実家も…「アガマ サヤ ブッダ(仏教徒です)」
ところが「何の為に聞いたの!」と、あきれるくらい、
出産の儀式はイスラム教の戒律にのっとって、行われました。
日本人のお産が珍しかったのか、大勢の見習い産科医が来て、
私の恥ずかしい所を覗くのです。(みんな同じだと思う。)
そして「アッラーの神のご加護を!」と、ウンウンうなっている
私のことなどそっちのけで、手に手にロウソクを持って
「祓いきよめの様な」儀式をしてくれました。
3回目で産道が整備されていたからか、アッラーの神が見守って
くれたからか、アッというまにお産は終わりました。
3500gの男の赤ちゃん。「オギャーッ」といううぶ声は、
まぎれもなく日本語でした。
家で同居している女中さんやボーイさん
(運転手さんをいれると6人もの使用人がいた)の
インドネシア語をわが子は一日中お腹の中で聴いていたから…
危惧(?)していたのでした。ところが数ヶ月して次男が
はじめて言葉を発したのが、やっぱりインドネシア語の
「アパ イニ?…これなに?」というものでした。
でも両親や兄姉と喋るときは、片言の日本語で、
うまく使い分けるのにはびっくりしました。
(バイリンガル・ベイビイね)
当然といおうか、この子が家族の中で、一番インドネシア語が
うまいのでした。
言い忘れましたが、(しつこいようですが)、ここでも出産直前の
看護婦さんの儀式は行われ「ポンパ ドゥルー
ヤ(先にポンプを
いれましょう」」と言って、自転車の空気入れのような大きな
ポンプを、私の後下部に突っ込むのです。七転八倒してすっきり、
まあ、おかげできれいにお産が済みました。
直後の儀式は、神への感謝のお祈りと、赤ちゃんの足の裏への
疱瘡(天然痘)の予防の為に傷をいれること、
それからイスラム教の儀式「オチンチンに傷を入れる割礼(かつれい)」…
これはさすがにやめて貰いました。
個室に戻ると、ほかの産婦さんがみんな私の部屋へ集まって
テレビを観ているのでした。「おめでとう!」「神に感謝」と
全員で拍手してくれました。窓辺には院長ドクトル・ユドノの
「日本女性は静かにお産をしてエライ!」と書いたカード入りの
プレゼント「蘭の花やブーゲンビリア」の花束がかぐわしく
活けてありました。
出産の2日後日は、もう退院(!)です。早く身体を動かした
ほうが、産婦のためになるとのことでした。ありがたいことに、
家に帰れば、女中さんや子守りさんがいるので、
母親は充分休養できるのでした。
赤ちゃんが母親の胎内で育っていたときの「胎盤」は、
こちらの宗教的慣習で、家に持って帰って庭に埋めました。
(胎盤は、医薬品や化粧品として利用する為にヤミで高く売買
されるそうです。売られてたまるか!)
インドネシアの人達の親切心に感激した私は、これなら
「もう1回くらいイタイ目に会ってもイイナ」と思いました。
大勢の人達に助けられて、外地での出産が無事に終わり
…アッラーの神とみんなに祝福されて子供達は(親も)
6年の幸せな時代を送りました。
この時、わが家で一緒に住んでいたボーイさんや子守りさん、
料理手伝い、洗濯人、運転手さん、門番の人達…
15や16歳で親元を離れて、口減らしと現金を故郷へ送るために
都会(ジャカルタ)へ出て、住み込みで働いていた人達のこと、
…三人の子を我が子のように可愛がってくれた人達とのふれあい
を、胸にせまってくるさまざまな思い出ばなしを…
次回はちょっと聞いて貰おうかなと思っています。
というような、おかんのこんな「出産体験3回」ばなし、
なんかお役に立ちそうかな?(立たないだろうな)
世界中にはいろんな国情があり、家にはそれぞれの事情があり、
必ずしも祝福されて産まれてくる子供ばかりではないのであろうが、
(インドでは、地面の上で産まれ、地面の上で亡くなる一生を
送る人もいるのだ)
それでも、少なくとも「その瞬間」の母親の大きなよろこび、
感激は、万国万生物共有のものであろう。
あの時の感激を忘れないで…
「いかにして産まれてきた生き物に水をやり、餌をあたえ、
愛とムチで大きくしてやるか。
産まれてきてよかった、と思える人間になれるようアドバイス
してやるか」
産んだものとして、母親のつとめを忘れないでおきたい、
と、そう思う真面目おかんでありました。