メルマガ発行までのいきさつ





電脳玉手箱とたわむるの記 


                     
 今からちょうど20年前のこと

高校3年の私の長男が、
それまで貯めていたお年玉をかき集めて、
大阪は日本橋のデンデンタウンへ出かけ、
おおきな包みをかかえて帰ってまいりました。
ICチップスとかパーツとかいう機械?の部品を床の上に積んで、
細かい線をいじくったり
ハンダづけをしたりして3日3晩かかって
なにやら組み立てておりました。
「出来たーっ!」といってテレビの画面のようなものに写る
曲線グラフやら
漫画のイラスト様の絵を動かして
得意そうに家族みんなに見せてくれました。
「これがパーソナルコンピューターというんや。アメリカではもう
沢山の家庭に行き渡っておる。
今に日本でも「家庭に一台」の時代が来るんやで。
お母さんも勉強してパソコン触れるようになりや!面白いでぇ」
「とんでもない!メカに弱い私に
そんなややこしいモン触れるもんかいな」と

・・・その時は、
まさか自分でもそんなオモチャに夢中になれる日がこようとは
想像もできませんでした。
息子はそのパソコンに夢中になり過ぎて、
大学入試に失敗し

そののち大学(院)電子工学部で勉強して
今はアメリカのシリコンバレーで、PCソフト&翻訳の会社を
ベンチャーで起こして楽しく遊んで?おります。
さて、私はといえば・・・
仕事のためにパソコンを購入して夢中になっている夫を尻目に
「なにが面白いんや!」と触ろうともしない日々が続き・・・
ところが7年前のこと。
NHKテレビで「インターネットで思いを発信しようという
「まぐまぐ」というメールマガジンの
ことを紹介した番組を観ました。
「自分の好きなことを書いて
全国や世界中の人に観てもらえるメールマガジンが
今大人気」で、
若い人から中高年まで楽しく参加している、というのです。
「ふーん、これは書くことが好きな私も参加してみたいなあ」と

メカ以外は何にでも頭を突っ込むクセのある私、
毛嫌いしていたパソコンを夫に借りておそるおそる
マウスに触ってみました。
それまでワープロはなんとか使えていたので、
夫に教えてもらいながら、
ワードのソフトで文章を
書くことと、メールのやり方だけ覚えました。
それからはアメリカの息子とのメールのやり取りが始まり、
「手紙より早いし安いし、これはなんとまあベンリなこと・・・」
でもメルマガ発行となるとコピーペーストの編集作業や
それに自分のホームページも作らないと
いけないのです。
「ホームページビルダー」というソフトも買ってきて
読み始めたのですが、頭が痛くなって
投げ出してしまうほど、私にはチンプンカンプンでした。
パソコン教室へ通っても3日で辞めてしまいました。
「これはもう誰かに頼むしかない」と
メルマガ発行者をいろいろ
調べてみると
「走れ!おばさん」というのがみつかり、
これを編集発行しておられるのが
広告企画会社の社長さんで、
(shiozyさんというこの人。超人気のブログ覗いてください)


「おばさん、をやっているならついでにおかん、
もやっていただけないでしょうか?」と
いうあつかましいお願いメールを送信。
私のメルマガは「おかんの法則」というエッセイなのでした。
ちょうど住んでいた大阪のマンションの向かい側に
「おかんのたこ焼き」というちっちゃな店があったので、
それを借用したのです。
「題が気にいった!」と快く引き受けてくださり、
それから1年半も無料で!お仕事のかたわら
編集をやってくださいました。
メルマガの内容は(エッセイを読んでくださいね)

当時、私はある大きな難題を抱えており、
「これは書くことでしか
道を切り開いていけない」という思いで
いっぱいでした。

勝手な思いを、メルマガエッセイという手段で
毎週ぶちまけていると・・・

予想に反して(なんとありがたいことに)
全国や海外の見も知らぬたくさんのお人から
「おかん、がんばれ」という応援メールを
2年半の間に千通以上も頂戴して

あらためて
「インターネットの威力は凄い!」と
涙ながらに感じいりました。

それからは、
書籍購入や旅行の申し込み、生活品のショッピングなど
国内外のサイトを楽しむという
ネットサーフィン三昧の
日々を送り、ネット友達もあちこちに出来て
「老後はこの玉手箱でもっとあそぼっと!」

と退屈知らずの日々を送っています。


現在、平成19年、私も還暦をとっくに過ぎましたが

ホームページ作成もまがりなりにできるようになり、

今はブログサイト作りに挑戦中です。